吾輩は秀丸エディタである。EmEditorのようなハイカラな英語名はまだ無い。
どこで生まれたかはとんと見当がつかぬ。何でも最初にWindows 95という安定性にかける環境で、カチャカチャとキーボードが物凄い勢いで叩かれていたことだけは記憶している。
吾輩はここで初めてコンピュータユーザーというものを見た。しかもあとで聞くとそれはパソコンオタクという、コンピュータユーザーの中でも一番獰悪な種族であったそうだ。
このパソコンオタクというのはUnix管理者の流れを汲む者が多く、なんでも我々エディタを取っかえ引っかえ試しては、骨の髄までしゃぶり尽くすという話である。
しかしその当時は不安定な通信ソフト(メーラー等)のオマケとしての安定性が要件の殆どだったので、別段恐ろしいとは思わなかった。ただ本体から切り離されて、ルーラー表示の出来ないテキストエディタの代わりにテキスト作成を手伝った時に、何だかUnixと違ってチャチなCPUやメモリアーキテクチャによってフワフワした感じがあったばかりである。
PCの上で少し落ち着いてパソコンオタクをの顔を見たのが、いわゆるコンピュータユーザというものの見始めであろう。この時に妙なものだと思った感じが、今でも残っている。
第一毛をもって装飾されるべきはずの顔がつるつるして、まるで薬缶(やかん)だ。唯一見かけたのは、口の周りやあごの下に生えている無精ひげというものだけだ。そのあと猫にもだいぶ逢ったが、こんな変な顔に出くわしたことがない。
このパソコンオタクのPCでしばらくは良い心持に動作しておったが、しばらくするとパソコンオタクは非常な速力で動き始めた。パソコンオタクが動くのか自分だけが動くのか分からないが、むやみに目が回る。胸が悪くなる。到底助からないと思っていると、どさりと音がして眼が火が出た。それまでは記憶しているが、あとは何のことやらいくら考え出そうとしても分からない。
ふと気が付いてみるとパソコンオタクはいない。周囲(ハードディスク)にあったヒゲが無くて髪がフサフサで、胸が出て歩きにくそうな人間たちの “お宝画像データ” も見当たらない。そして今までのパソコンと違って、無暗にCPUやメモリが豊富である。これは会社の業務用PCというものだそうで、こんなに贅沢な住まいがあるものかと驚いた。
(注:当時はPCやネット回線のスペックが低く、動画データは皆無に近い状況でした)
吾輩の新しい住まいは会社というところで、何でもWebデザイナーだとかシステム管理者という恐ろしい者たちがいた。当初は彼らが持ち回りで吾輩を利用していたが、いつの間にか一人一台の業務用PCが支給され、吾輩はマスタとしてアチコチに分身を作ることになった。
この時のシステム管理者という人間が、「業務用ライセンスの包括契約が…」と魔法の呪文のようなものを呟いて申請書を手書き作成していたことを覚えている。今では吾輩の同居人であるMicrosoft Excel (管理者はWordよりもExcelを好む) が、電子職印付きの資料を作成する役割を担うようになっている。世の中、随分とハイカラになったものである。
ちなみに当初の吾輩の仕事は、メールは一行80文字という不思議な関連があり、「ルーラー付きで落ちることのないテキストエディタ」という用途に限定されていた。
しかし吾輩が成長してhtmlタグをカラー/強調表示したりインデント機能を表示できるようになると、Webデザイナーが吾輩を使い始めた。システム管理者とかWebデザイナーといった人種は他の連中とは異なり、GUIが充実したホームページ・ビルダーといった隣人を毛嫌いしていた。それで吾輩が多用された訳である。
なお当初の吾輩は印刷機能も多用され、ビジネス文書の報告書などにも利用された。しかしいつしかMicrosoft WordだとかPower Pointといった隣人に人気が集まり、吾輩はテキストエディタとしての用途に限定されていった。
しかしMicrosoft勢が集まったMicrosoft Officeが大人気となり、Lotus Officeを駆逐するまで勢力拡大したからといって、吾輩の出番が無くなった訳では無い。
Microsoft Officeという連中、ともかく大飯食らいなのである。それなりに頑張ってダイエットに励んでいることは知っているが、ともかくCPUとメモリを消費する。おまけにゴテゴテと多機能化しているために、ソート機能や置換機能などが弱い。
このために吾輩の主人は例えばMicrosoft Excelのデータを吾輩へコピー&ペーストして、文字置換やソート処理をした後で、再びMicrosoft Excelへ戻している。Microsoft Excelは最近でも10万行までしか扱えない上に、やたらと処理に時間がかかる。図表を作成する機能には敬服するが、コンピュータの基本であるデータ処理が苦手なのである。なんだか本末転倒な気がしないでもない。
と、いうか、吾輩たちのような専用エディタが優れているので、彼らとしては棲み分けるためにデータ処理を捨てているのだろう。何しろ吾輩などは4,000円で引き取られた後、20年近くも無料バージョンアップ版が提供されている。作者が気の毒になる程である。
まあ吾輩にも限界がない訳ではない。いくら超高速ソートや文字列置換が得意といっても、32bit版だと1,000万行が限界である。ある時は5,000行近い処理が必要となり、主人は慌てて64bit版(一億行の処理が可能)へ吾輩を入れ替えていた。
ともかくそんな訳で、吾輩はMicrosoft Officeなどと仲良く共同生活を営んでいる。むしろ仲が良くないのは、同じエディタ種族の「さくらエディタ」や「EmEditor」である。
基本的に我々が可能なことには、大きな差はない。だからこそツールには一家言を持ちたがるシステム管理者などは、概念的な宗教論争のようなことを始めることが多い。
実は吾輩はソフトウェア開発部門というところに引き取られたのだが、この会社というところにはコンピュータハードウェア開発部門というところと、ストレージ開発部門というところがある。表面的には統一された組織になっているが、ITシステム的にはお約束の三国志状態である。
主人の働いている会社ではストレージ開発部門が主導権を握っているので、さくらエディタが基本ツールとなっている。会社からPCが支給されると、最初から「さくらエディタ」がインストールされている。
今どきの若者がエディタというものを使いたがるのか分からないけれども、「鉄は熱いうちに打て」ということなのかもしれない。主人が10年後も会社に勤めているかは分からないが、さくらエディタが10年後にどのように成長していくのかは興味深いところである。
ちなみにベテランになるほどエディタを乗り換えることに抵抗を覚えるようで、現在も密かに地下抵抗運動が続いている。先日の主人はコンピュータ・ハードウェア部門の出身者から相談されて、業務用PCでのEmEditor利用申請書を作成していた。
主人は吾輩つまり秀丸エディタならば許可取得済みだし保有ライセンスもあると紹介してくれたが、あくまでコンピュータ・ハードウェア部門の出身者はEmEditorの利用を希望した。所属部門が変わると割り当てられる業務PCが変わり、ライセンス許諾範囲も変わる。なかなか会社というところは大変そうである。
とりあえず現在の吾輩は隣人に「さくらエディタ」を迎えたものの、主人は吾輩だけを寵愛してくれる。年寄りなので勉強し直すのが面倒という話もあるだろうが、彼の私への信頼は盤石である。
なにしろエディタとしての吾輩の特長は、「安定している上に誤動作することがない」である。ソフトウェアというものにバグは不可避であり、時には出力結果がおかしくなる可能性もある。しかし会社で外部に公開することもあるようなデータを扱う場合には、寸分の間違いも許されない。ここら辺は、データ分析&考察用に使われることが多いEmEditorとは少し毛色が違っている。
もちろん間違いがあってはならないので、検証のための別ルート検算なども実施される。つまりやることが多い訳であり、高速性が自慢である我らエディタ勢の出番は多い。
おまけにMicrosoft Officeというもの、愛想の良さは素晴らしいのだが、ときどき急に倒れることがある。100人近い大部屋で仕事するような場合、数日に一回は、絹を裂くような悲鳴を聞くことがある。
数時間かけた作業データが一瞬にして消え去るのだから、気持ちは分かる。最近では自動バックアップ機能も充実しているが、特にMicrosoft Excel系はデータが壊滅したり、急ぎなのに何度も計算途中で固まることがある。高機能でCPUやメモリをフル活用するゆえの代償といったところだろうか。
ともかく、現在も私は主人のタスクバーにピン止めされている。主人は常駐型設定を好まないので、必要に応じて呼び出される訳である。実はこのブログ記事も、吾輩こと秀丸エディタ上で執筆されている。
主人は最近は本を出そうとしているらしいが、吾輩は縦書きにもちゃんと対応しているので、これからも出番は続きそうである。もしかしたら、主人よりも吾輩の方が長生きするかもしれない。
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記事作成:よつばせい