持ち帰りウナギへの挑戦

横浜の八十八の鰻重

少しネタ的な要素があるので、今回は小説風に紹介させて頂くことにします。

—– スタート ——

老人の元を兄妹が訪れたのは、まだ9月の残暑が厳しい日だった。

彼は一目見て、その兄弟が何者であるかを悟った。子供の頃の面影が残っていたこともあるが、やはり血は争えないらしい。

「父に最高の鰻を届けたいのです。母から、あなたならば可能かもしれないと言われました」

そう言われても、老人は全く嬉しくなかった。

「ワシも鰻の蒲焼は、もう10年以上は食べてないな」

老人は溜息をついた。期待されていた日本ウナギの完全養殖は結局実現されることはなく、一方で稚魚の収穫量は毎年減少していった。

今では「ウナギ保護法」なる法律が制定され、高齢者がウナギを食べるには新車を一台は購入できる金額を納税することが必要となっている。俗にいう「ウナギ税」というヤツだ。

「お金ならば、ぼくたちで何とかするつもりです。でも今回は、あなたの知識と経験が必要なんです!」

立派な社会人になったものだ… リーダーとしての貫禄を備え始めた男性を見て、密かに老人は感心した。どうやらこちらの事情は、全てお見通しのようだ。

数十年前に戻ったような奇妙な感覚を、

老人は味わった。それほど彼は、父親に似ていた。そしてどうやら、似ているのは外見だけではないらしい。

こうなったら、手の内を見せざるを得ないだろう。

「分かった。ではあそこに見える地域センターで話をさせてくれ。おそらく意見交換に数時間はかかるだろう。時間に余裕はあるかな?」

今度は女性が、丁寧に頭を下げた。

「大丈夫です。こちらこそ急にご連絡差し上げて、いきなり押しかけて申し訳ありません」

「いやいや、こちらこそ、お茶の一つも出せずに申し訳ない」

そういうと老人は、二人を伴って地域センターの方へ向かい、歩き始めた。

・・・

「最初に尋ねておくが、現在の彼は自宅から一歩も出られないのだね、卓也君?」

少しだけ躊躇した後に、男性は答えた。

「ぼくの名前を覚えていらっしゃるのですね。はい、ネットワークに直接接続している状態を解除できず、自宅から出られません。だからこそ父が最も感動することが確実な『鰻の蒲焼』が必要なんです」

やはり筋金入りなのは、老人だけではないらしい。

「そうすると相当難しいな。鰻というのは『美味しんぼ』第三巻で紹介されているように、焼き上がった時から風味が落ちていく。脂が落ちていってしまう訳だ … もちろん冷凍ウナギは試した後だね、『くろまち』さんだが?」

腕を組みながら、彼は唸るように言った。それに返事をしたのが、女性の方だ。もちろん彼は、彼女の名前が “あかね” だと覚えていた。

「ええ、少しだけ反応したのですが、それきりでした。焼き上がったものを、そのまま瞬間冷凍しているハズなんですけど」

老人は頷いた。

「風味が変わるが、脂は落ちるだけなので冷凍ウナギというのは『持ち帰り鰻』よりも良質なことが多い。それでも満足できないとは、相変わらずだな」

近くの自販機で購入したコーヒーを、一口だけ飲みこむ。鰻の蒲焼を食べていた時の習慣で、無糖コーヒーである。

「やはり残った選択肢は、『持ち帰り』だけという訳か。しかし君たちの家の近くに鰻専門店は存在しない。もうその点は検討済みかな?」

卓也と呼ばれた男性は、その通りだと頷いた。スーツ姿が良く似合っている。

「あなたもご存知の『みのる』という持ち帰り専門店が、焼き上がった蒲焼を店頭販売しています。しかしそれはタレが好みでないらしく、ダメでした」

老人は嘆息した。

「そうか… 甘党だからな。『はま吉』もダメかね?」

「あそこは一昨年、閉店してしまったのです」

「なるほど」

兄妹も、考えられることは全て試してみたらしい。本当に筋金入りの鰻好きだと感心したが、彼は確認を続けた。

「そうなると電車移動で30分以上は必要となる『野田岩』になりそうだ… もちろんデパ地下の持ち帰り品は試したね?」

恐れ入ったという感じで、あかねという名前の女性が頷いた。

「はい。お店の方から『オーブントースターやフライパンでなく、蒸器で軽く温めるか、炊き立てのご飯の熱で蒸すのが良い』とアドバイスされました。しかしそれでもダメでした」

彼は慰めるように言った。

「野田岩は江戸前の鰻だから、『蒸し』によって相当復活するタイプだ。店でも保証している。それでも十分ではない訳だ」

老人は、自分ならば十二分に満足できるだろうにと思いつつ、話を続けた。おそらく本店から焼き立て蒲焼を受け取り、自宅へ持ち帰ることも試しただろう。

「ところで… 『しま村』はご存知かな?」

ここへ来て初めて、兄妹は戸惑いの表情を見せた。

「いえ。それは神奈川県にあるお店なのですか?」

「ああ、おそらく。『持ち帰り鰻』ではナンバー・ワンと言っても良いだろう。もともと『しま村』は『持ち帰り鰻』専門店として営業開始しているんだ。だから持ち帰ることを想定し、『蒸し』や『焼き』を最小限に留めている。だから脂が殆ど流れ出さず、持ち帰って再調理するのに向いているんだ」

「なるほど」

「『みのる』のように近所で焼き立ての鰻を持ち帰るのでなければ、おそらく『しまむら』が、最も『お店の鰻』に近いだろう。ただし江戸前で典型的な関東風だし、タレは醤油と味醂(ミリン)に加えて砂糖も使っているので、かなり甘口に仕上がっている」

「なるほど、さすがは父のご友人でいらっしゃいますね。そんな鰻の蒲焼が存在するとは、今まで知りませんでした」

「持ち帰りの店頭販売と鰻専門店を合わせても、日吉、青葉台、たまプラーザの三店舗しか存在しないからな」

別に全く自慢できる話ではない。

単に老人が田園都市線沿いに住んでいて、このような鰻の存在を知ったのは「単なる偶然」に過ぎない。しかし旧き友人の役に立てるならば、どうやって知ったのかは全く問題でない。

それに今のところ、「ちょっとしたアイディア」を除けば、遺された方法は「しろ村」の持ち帰り専用ウナギに頼るしか無いようだ。彼がそのことを告げると、兄妹は礼儀正しく挨拶をし、少しでも時間が惜しいといった様子で立ち去った。

・・・

その兄弟から彼のところに御礼の手紙が届いたのは、それから半年後のことだった。

手紙には彼が届けた鰻重が、旧友を満足させたことを知った。また残念ながら『しろ村』の鰻はデパ地下ウナギの中では群を抜いていたが、それでも彼を満足させることが出来なかったとも書き添えられていた。

当然だろう。

何しろ彼が思いついた「あるアイディア」とは、高校の同窓会メンバーに頼るという方法だった。

まず老人は、都内で彼が大満足したという名店へ持ち帰り鰻弁当を手配した。そして鰻専門店の近くのヘリポートから、ヘリを使って彼の自宅近くの病院まで届けて貰ったのだ。

幸い2015年に屋上ヘリポート(ドクターズヘリ)が整備されていたことが幸いした。ヘリは金を払えば簡単にチャーターすることが出来た。そしてヘリポートの利用許可は、同窓会のメンバーに頼ったらばアッサリと解決したという訳だ。

持つべき者は何とやら、だ。

さすがの兄妹も、旧友のために同窓会が総力を挙げて取り組むとは予想していなかったらしい。亀の甲より年の功という類で、まだまだ老人も捨てたものでは無いらしい。

=== END ===

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:よつばせい